2021/08/10 (TUE)

アメリカ中西部~タイ~フィリピン 「異文化体験を語る」連続講演会6月編開催

OBJECTIVE.

コロナウイルス禍で海外への渡航もままならぬ中、学生のみなさんに遠く広い世界への夢と意思を持ち続けてもらうべく、社会学部専任教員がオムニバス形式でそれぞれの<世界体験>を披瀝する「異文化体験を語る」連続講演会(社会学部国際化推進委員会主催)は、6月も3度(第4~6回)にわたって昼休みにオンラインで行われた。

アメリカ中西部 小さな町の静かな暮らし   第4回 村瀬洋一教授

当日配信画像より

 6月17日(木)に開催された「Best place to live: 米国生活のこつと社会の特徴」で、社会学科の村瀬洋一教授は研究休暇で計2年滞在したウィスコンシン州マディソンでの経験を中心に、日本人になじみ深いニューヨークなど北東部やカリフォルニアなどの太平洋岸とは一味違った中西部の暮らし、大学町などスモールタウンの魅力を語った。

 大学時代にニューヨークで暮らす家族を何度か訪ねたことはあるが、2001年にウィスコンシン大学マディソン校で研究に従事すべく渡米したときは初めての本格的な米国暮らしだった。それでも「あまり不安はなかった。まじめに努力すれば理解してもらえる」

 リトル・バークレーと称される、湖のほとりに広大なキャンパスが広がるリベラルな大学町での暮らしに触れつつ、村瀬教授は「東は冷たい、中西部は温かい、太平洋岸は歌って踊って、南部は保守的——とのステレオタイプイメージはけっこう当たっている」とし、「(日本人にとっての米国イメージの多くをつくっている)ニューヨークやロサンゼルスが例外。アメリカ人自身は静かなスモールタウンでの暮らしを好む」と、中西部などの「もうひとつのアメリカ」の魅力を披瀝した。

 50人近く集まった聴衆は「アメリカに住むなら小さな町のほうがよいという話が印象的だった」「アメリカに対する凝り固まったイメージが解けたように感じた」などの感想を寄せた。ランチタイムのひととき、講演は知られざる米国の一面に触れる機会となったようだった。

タイ・チェンマイ 非欧米圏から見る日本と世界    第5回 石井香世子教授

チェンマイの街並み

 6月21日(月)開催の第5回講演「2つの価値観に生かされるということ」では、現代文化学科の石井香世子教授が学生時代の交換留学からはじまり断続的に四半世紀にわたるタイでの滞在経験から、非欧米圏への留学の意義と醍醐味を熱く語った。

 石井教授はまず、出発前のタイ語学校で様々な世代の人や考えと出会い、「好きな言語を学び、好きな国に留学できる」自由の素晴らしさを思い知らされたという。

 タイ到着後、日本の大学教科書のなかで「東南アジアで拡大中の都市中産階級」という一文で示される人々の間に、飛び込む。そこで、日本で抱いていたイメージ(東南アジアに、日本人と“同じ”生活をする人が増えた)と、現実(日本では自分が見たことのないようなハイテクで豪奢な生活をする人々が増えている)とは大分違うことを実感、百聞は一見に如かずと衝撃を受けた。

 大学で友人ができてくると、自分が「1日に1度しかシャワーを浴びない汚い女の子」という汚名を着せられてしまったり、Kayokoという名前のスペルが読んでもらえず「カラオケちゃん」と呼ばれてしまったり、予想外のカルチャーショックに何度も泣くことになったエピソードを紹介。しかし同時に、「日本で当たり前とされがちな世界観やジェンダー役割規範といったものを、より広い視座から相対化することを学んだ」と石井教授は強調した。「欧米-日本の枠を超えて、より複眼的・立体的に世界を見る視座は、帰国後の人生において、貴重な財産となった」と。

 石井教授は「一見、日本で『変わったこと』と思われがちな、非英語圏・非欧米圏への留学も、大いに経験する価値があると思う。若い人たちには、ぜひ広い世界でさまざまな経験をして欲しい。そうした経験から得る、欧米-日本の枠を超えて複眼的・立体的に世界を見る視座は、その後の人生において財産となるに違いないと思う」と述べて講演を締めくくった。「ただし、遠くへ送り出してくれる親はいつも心配していた。私はそのことを、ずいぶん経ってから気づいた。皆さんは、私のように親に心配をかけ過ぎることにないよう、配慮して行ってきてください」との言葉を添えて。

フィリピン・マニラ フィールドでの出会い    第6回 太田麻希子准教授

ナボタスの夕暮れ時。水産や港湾に関連する仕事に就いている人も多い。

 6月28日の第6回講演会は、現代文化学科の太田麻希子准教授が「風まかせのフィールドワーク」と題してフィリピン・マニラでのフィールドワークを通じた異文化体験について報告した。まず、大学生の時に『現代社会の理論—情報化・消費社会の未来と現在』(見田宗介著、岩波新書、1996年)を読み第三世界に関心を持ったこと、出会いと紆余曲折を経てマニラの漁港のまち・ナボタスの都市貧困地域で調査をするようになった経緯が述べられた。報告者が大学院時代に学んだフィールドワークをめぐる議論では、調査者と被調査者の間に存在する権力の非対称性に関する問題が大きく取り上げられてきた。発表ではナボタスでの調査期間中、デング熱にかかった際のエピソードなどから、フィールドでの住民とのやり取りを通じてその事実を突き付けられた経験が取り上げられた。

 また、自身の立場が研究者志望だが将来不透明な存在から大学教員へと変化していくとともに、フィールドで出会った人たちの状況も変わっていったということが述べられた。20代で経験した住み込み調査のときは、自分よりも年上の女性たちに助けられ、「娘」のような形で受け入れてもらっていた。しかし、長期にわたり関わっていくと、日本とフィリピンの間に厳然と存在する寿命の違いを実感することがあり、もっとも恩を受け、お世話になった人たちの中にはすでに亡くなっている人もいる。他方で当時の子どもたちが大学を出て稼ぎの良い仕事に就いたり、家族をつくっていることもあるという。

 フィリピン自体の経済状況も変化した。フィリピンは2020年にパンデミックの打撃を受ける前は10年近く経済成長率6~7%を維持しており、高等教育就学率も上昇してきた(WB, web, 最終アクセス日: 2021/7/21a, b)。大学入学以上の人たちの就業率も上昇傾向にあった(PSA, web)。ナボタスで調査を始めて10数年経ち、日本とフィリピンとの間の政治経済的な非対称性は依然存在するものの、出会った人たちの中からは、いつか日本で教育に関わる仕事をしたいという若者も現れたという。日本にいるこちら「だけが」あちら(ナボタスの都市貧困地域)を訪問できる(=移動できる)という構造は変わりつつあるのかもしれない、ということが示唆された。

◆出所
Philippine Statistics Authority (PSA) Gender Statistics Labor and Employment(2002年版, 2018年版)https://psa.gov.ph/content/gender-statistics-labor-and-employment(最終アクセス日:2012/07/21)
World Bank (WB), “GDP growth (annual %) – Philippines” World Bank Open Data, https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.MKTP.KD.ZG?locations=PH&view=chart(最終アクセス日:2021/07/21a)
---------, “School enrollment, tertiary (% gross) - Philippines” World Bank Open Data, https://data.worldbank.org/indicator/SE.TER.ENRR?locations=PH(最終アクセス日:2021/07/21b)

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