社会学部現代文化学科の高木恒一教授にインタビュー

2024/04/15

教員

OVERVIEW

社会学部社現代文化学科の高木恒一教授に、担当教科やゼミについて語っていただきました。

リベラルアーツを実践し「人を見る力」「社会を知る力」を養ってほしい

時代診断学の特徴を持つ「都市社会論」

私が主に担当している科目は「都市社会論」です。例えば東京の再開発を通して、都市社会学的視点から都市を見ます。東京ではある日突然、古いビルがなくなって更地になる、駅前にタワーマンションが林立するなどが日常茶飯事です。今、大きな再開発といえば、立教大学のある池袋西口の再開発をはじめ各所で行われていますが、何と言っても渋谷ですね。駅周辺はもう老舗の居酒屋などは全滅で、昔の面影はありません。

再開発をみようとするとき、例えば都市計画学では建物の形状や構造、あるいは配置に着目するでしょう。また経済学ではそのプロジェクトにかかる費用やここからどれくらいの収益が上がるかに関心を寄せることになります。これに対して社会学は、どのような政治的・経済的な力が働くことによって再開発が行われるのか、あるいは再開発の前後で街やここに暮らす人々の営みや文化にどのような変化が見られるのか、といった点に焦点を合わせていきます。

都市社会学には時代診断学という側面があります。近代都市は社会の最先端の事象が起き、その時代に顕著な社会の特性が集約的に現れる場所です。都市社会学が生まれたのは北米屈指の都市であるシカゴです。1840年ごろには人口約4000人の町だったシカゴは工業化の進展や鉄道網の整備とともに世界中から移民が押し寄せ、1950年には人口360万を超えます。このなかで経済的発展を遂げる一方で貧富の差の増大や人種—民族問題などが発生するという、まさに時代の最先端の状況があらわれました。都市社会学はこのような状況を捉えるために生まれた領域なのです。

このように都市社会学は、都市という社会の特徴を明らかにすると同時に、都市に現れる時代の先端的な事象を捉える領域です。この魅力を感じてもらうために「都市社会論」は「都市を社会学的に捉えるための視点と方法」と「現代都市のトピック」を取り上げます。

多角的に「都市を考える」ゼミで、社会を見る基礎を固める

一方で、私が担当するゼミは「私たちの生きる場としての都市を考える」もので、特定のテーマは設定していません。具体的なテーマは、ゼミ生が自分で見つける形をとっています。前述の話とも共通しますが、都市には時代の特徴を示す事象がたくさんみられます。例えば、便利で困ることが少ないように見えても「当たり前」の皮を一枚剥がすと貧困やハラスメント、差別や隣人トラブルなど、社会問題が複雑に絡まり合っています。都市にはいろいろな人がいて、さまざまな悩みを抱えた人がいます。これらの人たちの諸問題が、どのようにつながっているのかなどを捉えていくことをゼミの目的としています。

テーマは「都市を考える」ことが決まっているだけなので、研究対象はゼミ生それぞれです。例えば、ゲームセンターでゲームをするのが好きなゼミ生がいて、彼はゲームセンターの歴史をテーマにしました。今の都市型のゲームセンターは、特定のゲームで技を競い合うような対戦型のもので、大手インストラクターが常駐するような場所だということで、それは私の知らない世界でした。ゲームセンターの歴史について示した学術資料などはなく、彼は、友人のネットワークを使って調査を行ったり、ゲームセンターの店長に話を聞くなどいわゆるフィールドワークを行いました。

フィールドワークは、古い表現ですが「恥知らずの折衷主義」と言われることがあります。つまりは「使えるものは何でも使う」ということです。ヒアリングや観察、数を数えたり、写真を撮ったりと手段はいろいろで、工夫次第です。知りたいことに対して、それを知るための適切な調査法をできるだけ模索することもまた大きな学びです。

卒論の取り組みは、社会の中での自己の位置付けを見出すことにもつながる

私が、ゼミ生たちの研究にあたり言い続けていることは「まず、自分の知りたいことは何なのか。何に面白さを感じ、何に心を動かされているのかを大事にしてください」ということです。自分の感性を大切にして、自分自身が見たいこと、知りたいことを自由かつ大胆に研究し、その経験を卒業後に活かしてほしいと思います。

私のゼミ出身で、現在はプロミュージシャンとして活躍している方がいます。同窓会報にこの方のインタビュー記事が掲載されました。この元ゼミ生は当時、集合住宅について研究したのですが、その記事には「世の中のさまざまな現象に名前をつけたり、文章で説明したりすることを面白いと感じていた」と述べたあとに「モヤモヤした感情を歌詞で言語化する創作活動と、ゼミでの調査の経験が繋がっていると感じた」と語ってくれています。教員冥利に尽きるというか、このコメントには泣かされましたね。

ゼミ生の卒業論文では、とくに、自分の内面や抱える困難と向き合ったものは印象に残っています。こうした卒業論文に取り組むのはとても大変なことですが、社会と自分の問題が結びつき、自分のモヤモヤしたものに形や名前を与えることで、社会の中での自己の位置付けを見出すことができます。卒業論文は3万2000字という大作を書き上げることになりますが、このことで自分と向き合い、乗り超えることができた学生は自信を持って巣立っていきます。

立教大学は、リベラルアーツ教育を基礎にしています。そして社会学部は、人の営みに着目してからリベラルアーツ教育を実践しています。その学びは卒業後すぐに、直接役に立つタイプのものではないかもしれません。しかし、社会学部で考えること、知る力、関心を持つセンスを磨くことで「人を見る力」「社会を知る力」が養われます。これはどのような仕事にも通用する力ですし、卒業後の長い人生のなかで必ず必要とされるものです。ここで学ぶ皆さんには、これまでの常識にとらわれない視点をもち、将来を展望するようなものの見方・考え方ができる大人になって、社会で活躍してもらいたいですね。

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