社会学部現代文化学科の小池靖教授にインタビュー

2025/04/14

教員

OVERVIEW

社会学部現代文化学科の小池靖教授に、担当教科やゼミについて語っていただきました。

宗教社会学に触れながら 「自由と寛容の精神を持って、世の中や人間を見る」ことを伝えたい

宗教、自己啓発、心理療法やカウンセリングなどを網羅

私の研究分野は宗教社会学、心理主義論、文化社会学で、とくに精神世界、ニューエイジ運動、スピリチュアル・ブーム、自己啓発、自助グループ、ポップ心理学などをフィールドに調査・研究を行っています。

近著では2023年に立教大学出版会から刊行した『心理療法が宗教になるとき:セラピーとスピリチュアリティをめぐる社会学』があります。グローバル化・インターネット化の時代における、現代人の精神状況の行方や、心理学は現代の「宗教」なのか、心を癒す営みは、なぜスピリチュアルな様相を帯びるときがあるのかなど、社会に浸透している心理学的発想について考察し「セラピー文化」「心理主義」と呼ばれる社会の一側面について記しました。

具体的な担当教科は「宗教社会学」「セラピー文化論」で、前者は宗教に力点を置き現代社会と宗教を幅広くとり扱い、後者は「カウンセリングとは何か」という初歩的なところから始め、自己啓発や心理療法・カウンセリングに力点を置いた科目です。

宗教社会学に関しては、1回1テーマの読み切り講義です。そして、次の3本柱で構成しています。ひとつは「新宗教と社会的論争」。これはカルト問題を最初にとり上げます。社会問題としては、もっとも関心が高く注目される分野だと思います。ふたつ目は「政治と宗教」、3つ目は「スピリチュアルとその周辺」です。

「政治と宗教」については、他の授業ではあまり触れないようなタブーな領域にも挑戦しています。それはキリスト教右派、日本の新宗教、天皇制です。皇族と民間人との結婚のような話題もとり上げつつ、天皇制の宗教的起源についても考察します。

「スピリチュアルとその周辺」については、伝統的なキリスト教や仏教に入らないような占い、前世療法、クリスタルヒーリング、ニューエイジ、レイキからオーラソーマまで、30代以降の女性に主に支持されているジャンルのもので、主に日本とアメリカの事象を中心にとり上げます。占いはいつでも「自分のことを知りたい」と思う人々の興味の対象ですが、今どきは、占い師の方も、相手を傷つけないように寄り添うようですね。

授業の方法としてはペーパーレス、印刷物ゼロを目指しています。パワーポイントを使って解説し、毎回10~25分程度のVTRも視聴してもらい、感想などを書くコメントペーパーは、大学の授業支援システムを使ってWEB上に投稿してもらうようにしています。

テーマは自由。自主的に調査を行い実践を積み重ねるゼミ

一方でゼミは「心理ブームからスピリチュアルまで」がテーマではありますが、自由度は高く、基本的にどのようなテーマでもよしとしています。ゼミ選考では成績などよりも、志望書や面接を重視してメンバーを選んでいます。これまで非常によいメンバーに恵まれました。

学生たちには1~2年次にできるだけ多くの授業をとって、自分の興味関心を突き詰め、それからどこかのゼミに入ってもらうのが理想的ですね。さまざまなテーマから現代社会を探っていきますが、インタビュー調査は、立教大学社会学部ゼミ生としてアポをとり、調査依頼をして話を伺います。ZOOMの普及もありインタビュー承諾率は近年上がってきていて、今は50%以上ではないでしょうか?神社の皆様にもよくご協力いただいています。

今は完全に学生たちのみで調査を企画・実施させていますが、着任当初は、カルト脱会者や教会施設、気功術講座などに、ゼミ生たちといっしょに聞きとりや見学に行ったことをよく覚えています。学生の学びを考えると引率し過ぎず、自主性にまかせることにしました。

研究テーマを自由にしていると言いましたが、最近ではアイドルやアニメの「推し活」がやはり流行っていますね。以前『前田敦子はキリストを超えた』というような新書もありました(濱野智史, 2012)。私は研究者として、アイドルと宗教はいっしょにはしませんが(笑)。本人がやりたいことは、全面的に協力するスタンスです。

「推し活」が流行るのは、宗教の衰退と相関関係にあると思います。つまりは人の情熱の行き所がどこなのか、ということだと思うのです。宗教の衰退は世界的にも顕著で、先進国では軒並み無宗教を自称する人が増えてきています。日本はとくに、国際比較調査などを行ったとき、何をどう聞いても結果は「世界で宗教性のもっとも薄い国」として位置づけられます。

心と精神の時代から株価と経済の時代へ

つい最近、このことについて学会で発表したばかりなのですが、私の見立てでは、1995年までは「心と精神の時代」でした。しかしそれ以降はだんだん「株価と経済の時代」になったのではないか。学問的にいうと、セラピー文化の広がりのことを「社会の心理主義化」とも呼ぶのですが、2020年代までには「個人の経済主義化」が台頭していったと考えられるかもしれない。自分の心理・感情や精神的なことのみに関心を集中させるよりも、NISAや株価上昇のほうに関心がある。経済的物差しが人々に入り込む時代になりました。

もともと、ある程度社会が豊かになると、人々の宗教に依存する度合いが低くなってくることは世界的動向として見られることです。南米、東欧、南アジアなど、それまで途上国だった国々も経済発展を遂げています。世界が今、非宗教化しつつあるのは生活レベルが上がり、プリミティヴな生活をする人が少なくなったためです。人類の大きな流れとしてはそのようなことが言えると思います。

しかし、ある社会で宗教が衰退しても、倫理的・道徳的に堕落することとは必ずしもイコールではないと思います。人権や平和、合理性など、グローバルな「普遍性」がいっそう重要なのではないかと思います。物事の普遍性を頭の片隅に入れながら、ローカルな営みを行うこと。そして、授業を通して「自由と寛容の精神を持って、世の中や人間を見る」ことを学生たちに伝えていきたいですね。つまりは、今の学生は空気を読むことは上手なのですが、ときには空気を読まずに、自分が正しいと思う主張や意見を表明することや、思い切ったチャレンジは必要だと思いますし、思い切った行動をする人に対しての寛容さを持ってほしいと思うのです。

文章の作法を理解してから、初めて学問の手続きに入って行く

また、ゼミではアカデミックな文章の書き方をぜひ理解してほしいと思い、指導を行っています。私が独自で制作した「アカデミックライティングにおける引用参照の作法」という冊子を学生に渡しています。学生がレポートを書く際、人の意見はカギカッコに入れる、出典をきちんと示す。つまり、他者の本の中で紹介されているものを引用するときは、その作法にのっとること。学生のゼミレポートにはみっちりと赤字を入れて返し、書き直してもらっています。

アカデミックな営みとは、自分の意見はここまでで、そこから先は人の意見です、という区別をしたうえで、自分の主張を示すことだと思いますし、それが大学で学ぶ意味でもあります。この作法を理解して初めて学問の手続きに入って行けると私は考えています。

アメリカには「大学不要論」を説く「大学の先生」もいるほどですが、現在までのところ、日本社会で従来型の高等教育の価値が下がっているようには見受けられません。むしろ社会調査法的に言えば、階層分化にも宗教所属にも自覚が薄い日本で、その人のキャラクターを知る文化的指標として、大学卒業資格は依然、意味のある指標であり続けています。

立教大学池袋キャンパスは交通の便もよく、ミニシアターや劇場などの文化的施設にも近く、大学生活を送るにはうってつけの場所と言えます。サークル活動や学園祭にも、東京の有名私立大学のよさが残っています。とくに社会学部は、とりあえず法学、経済学などには関心を持てないが、幅広く学んで自分の興味関心を突き詰めたいと思っている人には最適です。自己探求のニーズに応えられる都心の大学で4年間を過ごすことは、非常に価値のあることだと思います。

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