メディア社会学科、 井手口 彰典 准教授に聞く、10の質問
2015/05/01
教員
Q.1 今までの経歴を教えてください。
大阪大学で音楽学を、広島大学大学院で音楽教育学を学びました。その後、大阪大学に戻って音楽学で博士号を取った後、2007年から鹿児島国際大学福祉社会学部に赴任し、2013年に立教大学に来ました。
Q.2 学生時代はどんな学生でしたか?
音楽漬けの日々でしたね。関西学院のオーケストラに所属し、最初はトロンボーンを吹いていたのですが、3年生からは学生指揮者を担当しました。また、独学で作曲を学び、コンピュータで曲を作っていました。クラシックからロックまでジャンルにこだわらずに色々な曲を作りましたね。指揮者の活動は今も続けています。
Q.3 専門の研究領域について教えてください。
「音楽社会学」です。音楽に関するさまざまな事象を、その音楽が鳴り響いている社会との関連性に照らして考える学問です。私の場合は特に、現代的なテクノロジーと音楽との関係、またオタク系文化と音楽との関係などを主要テーマにしています。
Q.4 担当している授業の内容について教えてください。
「若者とメディア」という授業では、現代の若者を取り巻くメディア環境について考えます。学生自身の日常をアクチュアルな問題として体感できるように努めています。「メディア文化論」では、私の専門のフィールドのひとつである「同人音楽」を例に「メディア文化を学問する」という取り組みの内実を具体的に紹介しています。
Q.5 担当しているゼミの内容について教えてください。
音楽社会学のゼミです。受講生は3年次から各自のテーマを設定し、腰を据えて特定の音楽現象と向き合います。さまざまなテーマの学生がいますが、音楽や音を素材に社会を考える、という点で共通しています。最長2年間の研究になりますが、自分たちの研究したものをそれぞれ定期的に持ち寄って、みんなの前で発表をして、互いに切磋琢磨しています。ある程度領域が近い人たちが互いに意見や情報を交換できるように努めています。
Q.6 ゼミを通して学生に伝えたいことは何ですか?
自らを「相対化」する力を身につけてほしいと思います。私たちは普段「自分」を基準に世界を認識しています。しかし、私に見えるものが他の人にも見えているとは限りませんし、私が信じている「正義」や「美」が他の人の信じているものと同じだとも限りません。こうした事実に気づくためには、「私」という殻から幽体離脱して、自分自身や周囲の人々を第三者の視点から俯瞰できる必要があります。学生にはそうした「相対化」のスキルを身につけてほしいと考えています。相対化のために一番いい方法は、カルチャーショックを受けること。だから、学生で時間があるうちに、一度も足を踏み入れたことのない場所に音楽を聴きに行きなさい、と伝えています。芸術劇場に行ったことがない者は芸術劇場へ、クラブで踊ったことがない者はそういう体験も一度はしなさい、と。
Q.7 社会学の魅力は何ですか?
研究対象の広さです。世間ではバカバカしいとされているものや下世話だとされているもの、わい雑なものでも、何でも貪欲に飲み込んで「学問」にしてしまうのが社会学だと思います。
Q.8 どのような学生が社会学部により合っていると思いますか?
ものごとを「斜めから見る」ことができる人ではないでしょうか。最近、素直で素朴な人が増えている気がします。見たことや聞いたことをそのまま信じる心ももちろん大切です。しかし一方で、常に対象と正面から向き合うばかりでなく、必要に応じて横に回ったり裏に回ったりしながら、多角的に対象を捉えることができる人、そういう意味でちょっと「ひねくれた」人が社会学に向いていると思います。
Q.9 学生におすすめしたい本を教えてください。
私自身に学問することの楽しさを何度も再認識させてくれた渡辺裕先生の近著である『サウンドとメディアの文化資源学:境界線上の音楽』をおすすめします。旧制高校の寮歌からチンドン、新民謡からバナナの叩き売りまで、まさに縦横無尽に論じられており、興味が尽きません。最初は尻込みするかもしれませんが、読み始めると止まらなくなる面白さがあります。
Q.10 最後に高校生へのメッセージをお願いします。
想像力の豊かな人になってください。ここでいう想像力というのは、架空の話を作り出すような力のことではなく、ある行動や発言が必然的にもたらすであろう結果を想像する力のことです。今こういう悪ふざけをしたら、どんなしっぺ返しを喰らうのだろうか。どれくらいの強さの言葉をぶつけたらどれくらい相手は傷つくだろうか。Twitterやオンライン掲示板での書き込みを見ていると、最近、その場で条件反射的に動く人が増えている気がするので、自分の未来や他者の気持ちに関する豊かな想像力を持ってほしいと思います。そんな「想像力」こそが社会を考えるための「力」になります。