社会学部社会学科の中澤 渉教授にインタビュー

2022/05/03

教員

OVERVIEW

社会学部社会学科の中澤 渉教授に、担当教科やゼミについて語っていただきました。

ありきたりな発想を捨て 革新的な考え方を武器に社会学を学ぶ

とらえにくい社会学を 理解し味わう授業を展開

担当教科の「現代社会変動論」では、社会はなぜ、いかにして変化してゆくのか、前近代から私たちの生活する近代(モダン)、そしてポストモダンといわれる社会にどのように移行してきたのかを、さまざまな社会学者の理論や概念を紹介しながら説明しています。

社会という概念はとらえどころがなく漠然としているように、社会学という学問自体に「曖昧さ」を感じる、「社会学は何を研究しているのかよくわからない」という声を耳にすることがあります。とくに大学入学前の高校生にとっては、社会学的な理論や概念にふれる機会はあまりありません。また「個人化」といって、人々が集団や共同体中心というより、個人本位に動くようになり、「社会」という空間を実感する機会も少なくなっています。社会学のわかりにくさには、そういった事情も関係しているのかもしれません。

社会は個人の集合体と考えられますが、そこで生活する個人が社会問題を認識し、改善したいと思っているもかかわらず、何も変わらないとか、事態が悪化するというようなことは珍しくありません。個人と社会の間には組織や制度が複雑にからんでいて、問題は錯綜しているように見えますが、そうした見えにくい問題について、先人の社会学者たちはさまざまな説明や解釈を試みてきました。そうした先人たちの試みに敬意を払いつつ、その説明が「なるほど、そういうことだったのか!」と、目からウロコが落ちるような実感を授業の中で味わってもらいたいと思っています。

教育を社会現象としてとらえ 実証分析を行う「教育社会学」

私の直接の専門は「教育社会学」なので、ゼミでは、学校教育の問題や格差をテーマとしてとりあげています。「教育社会学」とは何かと言えば、教育を社会現象としてとらえ実証分析を行うもので、私がこの専門を選んだのは、自身が感じてきた学校教育に対する違和感にあるといえます。私の出た中学校は校則がとても厳しく、管理教育には強い疑問を抱くようになりましたが、逆に高校は自由で、校則らしいものはほとんどありませんでした。その中で、自由を謳歌することの喜びとともに、自己決定への責任や自主性を学んだともいえます。紆余曲折を経て入った大学では、階層や教育機会の不平等を強く意識するようになり、その中で「教育社会学」の存在を知りました。この分野なら、自分が学校教育を通じて考えてきた問題や、違和感を学問的に探究できるのではないかと考えました。

「教育社会学」では、教育に対する個人的な意見を述べるのではなく、実証的データに基づいて議論を組み立てるのがポイントです。きっかけは個人的経験でも構わないのですが、その経験を安易に一般化するのではなく、違った立場ならどう見えるか、別の時代や社会ならどうなっているかなど、多角的に柔軟な思考を働かせる必要があります。一般に、教育に関する意見は、その人の個人的信念や善意、正義感から語られることが多いため、周囲の意見が耳に入らず独善的になることもあります。たとえば、体罰のような一般には許されない暴力が、教育の名のもとに正当化されたり、また体罰を教育において必要なものと支持する人も一定数存在します。その点で、「教育」をめぐる議論は、時に人々の冷静さを失わせることもあります。このような教育にまつわる現象を、距離をおいて見つめ直すことによって、当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではない、と認識することができるのではないでしょうか。俯瞰的に見るほうが、問題にどっぷりつかるより解決の糸口を見出せることも多いと思うのです。

これまで受け入れてきたゼミ生は、教育機会の不平等や格差の問題に関心を持つ学生が多く、それ以外だと、学校での横並び意識の強さや生徒の集団行動、職業教育や就職、国際理解教育や学校の地域連携、進路選択などが取り上げられていました。ゼミでは教育社会学のテキストを使ったグループワークによるプレゼンや議論、教育に関係する特定のトピックをグループで調査し、賛成・反対の立場に立ったディベートを行うなど、論証の技能を身につけます。それらを踏まえ卒論につながるテーマを絞っていきます。

4年次の卒論のテーマは、各自興味あることをやってもらえればよい、というスタンスです。学生には、できるだけ調査を行うこと、調査が難しくても、きちんとした検証にたえうるデータを探してくるようにと話しています。卒論とは「自分が抱いた問題意識を共有してもらえませんか?」という自己アピールの練習とも言えます。そのテーマに興味・関心のない人にも、自分の問題意識を説明し、その重要性を説得する。このような活動は、社会に出てからも重要なはずですから、ゼミを通じて少しでも体得していってもらいたいと思っています。

アンケート調査における 調査設計の重要性

社会調査にはさまざまな方法がありますが、私自身は主に質問紙調査を分析しているので、「社会調査法」の授業では、いわゆるアンケート調査の方法論を教えています。世の中にはたくさんのアンケート調査があるので、アンケートなんて簡単に作れると思われているかもしれませんが、アンケートにはきちんとした調査設計にかかわるメソッドがあり、その通りに行わなければ正しい結果を導くことはできません。対象者の選定も重要です。抽出対象が偏っていると、得られるデータも偏ってしまいます。

また、質問項目の言葉遣いによって、回答の分布が大きく変わることがありますし、最近は調査を行うことの倫理的な配慮が重要な課題となっています。センシティブな問題を扱う際には、内容や言葉遣いには配慮が必要になりますし、集計したアンケートをどのように公表するのか、またどのように社会に還元するのか、対象者に説明し同意を得なければなりません。「社会調査法」では問いや仮説の立て方を含め、上で述べた調査の手続き、科学的な思考とはどういうものかをしっかり身につけてもらうことを目指しています。

批判的視点を養ってこそ 物事の本質が見えてくる

私たちの学生時代と比較すれば、今の学生の方が圧倒的に授業への出席率が高いですし、とり組みの姿勢も真面目です。一方で、立教生に限らない話ですが、インターネットの発達で資料を手っ取り早くウェブ上で探して満足してしまい、図書館を有効に活用していない印象があります。学生のうちに活字を読むことを習慣づけておかないと、あとから身につけるのは大変です。読んだものがすぐに直接使えるとは限りませんが、たくさん本を読むことで自分の引き出しを増やしておくと、思わぬところでそれが役立ったりします。テーマの選定や論文執筆では、やはり読書経験が大きくものをいいます。「ほどほどに読む」「必要最小限だけ書く」のではなく、自分の能力の限界に挑戦することが大切です。そうしなければ能力はのびませんから。

また、学生のうちは「素直でおとなしい」よりは、世の中に対して斜に構えるような、生意気な学生でよいと思うのです。とくに社会学の学生は素直じゃないほうが向いていると思います。もちろんわざと反抗する必要はないのですが、社会学は常識的な見方を打ち破り、自明とされるものを相対化することに大きな意義を持つ分野です。学校で問題が起きている、だからそれを解決したい、という素直な問題意識を持つ学生が多く、それ自体必ずしも否定はしませんが、見方を変えて「皆問題だと言っているけど、そもそも本当に問題なのか」とか、「皆悪い面ばかり指摘するけど、実は別のいい面もあるのではないか」など、そういう違った見方をする学生がいると嬉しいですね。世の中は的確な批判と、その批判を受けた修正を通じて進歩してゆくものです。ですから、学生には建設的な批判的視点を養ってほしいと思います。また、社会学部は「何でもできそう」な分、「何を極めたいのか決められない」まま終わることがないよう意識することが大切です。研究テーマは、教員が与えるのではなく、自分で見つけるものです。4年の間に興味が変わってもよいので、自分にフィットするテーマを見つけてください。

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