社会学部現代文化学科4年の日比野真奈さんにインタビュー

現代文化学科 日比野真奈

2023/05/17

在学生

OVERVIEW

現代文化学科4年の日比野真奈さんに、立教大学での学びについて語っていただきました。

部活と学業を両立させながら知見を広め、人間として成長できた

全学部共通カリキュラムで多様な授業を履修できる

私は岐阜県の高校でボート部に所属しており、立教大学へはアスリート選抜入試を受けて入学しました。入試の段階でスポーツ面を評価していただきましたが、入学後は一般の学生とすべて同じ。スポーツと学業の両立が大前提です。1年次から戸田にあるボート練習場横にある寮に入り、部活と大学の往復でした。1日は朝4時半または5時から始まる朝練からスタートです。その後、1限目に間に合うよう大学にすべり込む毎日で、授業が終わるとまた練習に戻り、寮で夕飯を食べて就寝。正直、慣れるまで体力的に大変でした。しかし、身の回りのことや、タイムマネジメントを含めて大学入学後は、人としてかなり成長できました。

社会学部を選んだ理由は、社会の問題や出来事などがすべて学びの対象になる社会学がおもしろそうだと感じたからです。それに加えて、全学部共通カリキュラムで、社会学に限定せず多様な授業を履修できることがとても魅力的でした。

私自身、父方の家族は仏教を、母方の家族はキリスト教を信仰しているという環境の中で、幼いころからふたつの宗教に関わってきた背景がありました。自分自身の信仰の追求というよりは、社会に与えた影響などを含めて「宗教」に強い関心を持って学問として学びたいと考えていました。立教大学文学部にはキリスト教学科があり、その授業を履修できることも、入学の大きな動機となりました。また、社会学部ではフィールドワークも積極的に行っていることを知り、自分の持つ知識、本などから得られる情報だけでなく、実際に自分自身の目で見学や観察、体験することで新たな学びがあると思いました。

文化の違いはあたり前の違いを「文化の社会理論」で学ぶ

1年次の「文化の社会理論」では、担当の木村先生が海外で調査された文化の違いを学ぶ授業でした。春学期に履修した、大学で受けるほぼ初めての授業だったと記憶しています。大学の授業はどのように進むのかと不安もあった中で、先生がとてもおもしろい方で、映像を使った内容が理解しやすかったです。台湾での包丁の使い方は日本とは逆で、日本の引いて切る包丁の使い方は台湾では危険とされているとの紹介に、自分の中の「あたり前」が海外ではこんなにも違うのかと実感できました。薄々わかってはいたものの、具体的な映像とともに知るとあらためて衝撃を受けたことを覚えています。

宗教系に関しては、さっそく全学共通科目で「宗教音楽」や「宗教美術」などを、キリスト教学科で履修できるものも可能な限りとりました。新約・旧約の聖書の中身を学ぶ授業では、聖書をさまざまな角度から読みとることを学び、新たな発見も多かったです。

自然環境に含まれる社会問題を知り、環境社会学に目覚める

2年次になり、宗教の授業ばかりに目が行っていたので、少し目先を変えようと「環境社会論」の授業を受けたことで、初めて環境社会学という学問があることを知りました。もともと自分は自然が豊かな田舎育ちです。自然環境に恵まれていることがあたり前の地元から東京へ出てきたときは、それがあたり前でないことに驚きました。地元の里山の様子が環境社会学とつながるのかと思うと不思議な思いがしました。しかもボートは、自然とかかわり続ける競技です。以前よりも河川の汚れが増したように感じることもありましたし、気候変動のせいか夏の練習時、水面で日差しが100%照り返すためそれが異常に思えたこともあり、関心は高まるばかりでした。

この授業の担当は、のちにゼミに所属することになる関先生でした。関先生は、公害、自然保護、ごみ問題、地域づくりなど環境問題を研究されていて、とくに新潟水俣病の調査、患者会に長くたずさわってこられているので、授業もその内容が多く、今も国や企業に損害賠償を求める裁判が続く、リアルな公害問題を知ることができました。高校生のとき、日本の4大公害のことが、教科書で1ページにも満たない情報量しか載っていなかったことをふり返ると、あんなにも簡単に済ませてよかったのだろうかと疑問が涌きました。戦後の日本は環境よりも経済成長を選択したため公害が多発し、環境に関しての法律などが後から多くつくられているという歴史を知り、環境と経済発展のバランスの難しさについて考えさせられました。私はその後もますます環境に興味が向き、関先生以外の環境系の授業を多くとるようになりました。

フィールドワークで被災地・福島県双葉町へ

1~2年次は必修授業が多く、部活もあってスケジュールはぎっしりでした。1~4限までの授業はこなすだけで精一杯。さまざまなカテゴリの学びが続くと、前後の授業内容が頭の中で絡まってしまっていました。しかし3年次になると必修がゼミだけになり、かなり自由に授業を組めるようになり、部活との両立も余裕を持ってできるようになりました。ひとつの授業に対して落ち着いて向き合えるようになり、理解度が深まりました。興味関心も固まり、自ら勉強ができる環境が整えられてきました。

関ゼミの研究テーマは「東日本大震災からの復興」で、私が所属した年は、ちょうど震災発生から10年を迎えた年でした。先生が福島第一原発の訴訟にかかわっておられたこともあり、3年次の冬にフィールドワークで福島県の双葉町に行くことになりました。10年経った現在、どのような復興活動や復興計画が行われているのか、現地をこの目で見ることが目的です。コロナ禍だったこともあり、フィールドワークの予定が何度も延期になり、やっと現地に行けることにはなりましたが1日で日帰りという強行調査でした。

卒論は東日本大震災をテーマに宗教の視点を入れる

調査は、町内にある『東日本大震災・原子力災害伝承館』の見学と、災害の語り部の方、隣にある『双葉町産業交流センター』1階の飲食店の方などに直接お話を聞きました。「メディアは原発の廃炉作業ばかりをニュースにし、10年経っても町のほとんどが帰還困難区域に指定されたまま住民は戻ることができていない現状をもっと伝えてほしい」という声を聞き、どんどん復興が進むほかの東北被災地とは違い、原発被害のある双葉町を含む大熊町や浪江町など福島は復興が十分に進んでいないことに衝撃を受けました。

双葉町でのフィールドワークを通して、自然と卒論は東日本大震災をテーマにしようと思いました。研究の軸をどうしようかと震災について調べていたとき、1995年(平成7年)に阪神淡路大震災発生時、ボランティア元年といわれるほど、一般市民やさまざまな宗教団体などが現地に救助に入ったり、復興に尽力したことを知りました。大学に入学以来、キリスト教をメインに勉強を重ねていたので、私は「これだ!」と思いました。東日本大震災と宗教を結びつけられれば、自分の興味関心をぐっと引き寄せられると感じたからです。

臨床宗教師の住職の活動を知り会いに行く

文献や新聞記事を調べていくと、東日本大震災は阪神淡路大震災とは比べものにならないくらいの被害者が出ており、やはり災害の現場には宗教者たちが、人々の心のケアの重要性を感じてさまざまな活動を行っていました。なかでも、私が惹かれ注目したのが、宮城県曹洞宗のお寺の住職、金田さんが運営する傾聴移動式喫茶店「カフェ・デ・モンク」と、住職が設立にかかわった「臨床宗教師会」です。

臨床宗教師とは、東日本大震災をきっかけに資格制度が整えられたもので、布教・伝道を目的とせずに、相手を尊重しながら宗教者としての経験を活かして、苦しみ悲しみを抱える人々に寄り添う宗教者のことです。私が大学でこだわって勉強してきた宗教が、卒論に活かせることは理想的でした。テーマを「災害と宗教と『心のケア』」とし「カフェ・デ・モンク」や臨床宗教師が登場した背景や、災害復興の際にもたらされる社会の変化を調べ、今後発生する災害に対して、宗教・宗教者は何をしていくべきなのかを考察することにしました。私はさっそく金田さんにアポをとり、インタビューの約束をとりつけることができました。

臨床宗教師は「心のケア」のスペシャリスト

金田さんは震災後、避難所などで炊き出し活動を行うなか、住んでいた場所を失い、愚痴や不安、文句を言う相手がいなくなった人々の話を聞くことを目的に「カフェ・デ・モンク」の活動を開始したそうです。軽トラにケーキなどを積んで出向いていく移動式の喫茶店は、人々が心境を吐露できる場、心のケアを行う場として11年間営業を続けてきました。直接お会いしてわかったことは、震災後しばらくは災害に対しての苦しみや悲しみを口にする人が多かったのですが、最近ではそれ以外の普通の悩みに変わっていったそうです。これは文献ではわからなかったことでした。

そして、臨床宗教師は布教・伝道を目的としないことがポイントで、あくまでも「心のケア」のスペシャリストとして人に寄り添い、気持ちを共有する役割があります。災害時には、自治体・行政だけが手をさしのべるのではなく、宗教をベースにした臨床宗教師がかかわることはとても重要なことだとお話しを聞いて思いました。被災地でなくても人々のつながり、ご近所さんとのつながりが希薄になっている昨今。そして今後もさまざまな社会問題が増えていくことを考えると、人と人、地域と人などのつながりのかけ橋として、宗教や臨床宗教師の役割は重要だと、卒論を通してあらためて思いました。

日本の宗教観は独特であると感じています。みんなどこかに信仰心を持っているにもかかわらず「無宗教です」と言ってしまいます。ひとつの宗教を信じていると言えば、それはカルトや新興宗教ではないかと思われてしまいます。そのこと自体も、研究対象になり得るなと感じました。

ボート部の仲間とは家族のような絆で結ばれた

この4年間で宗教、環境ばかりではなく「音楽社会学」や「人間の安全保障とNGO」など、多彩な授業を通して自分の知識を広げられたこと、自分の新たな興味関心に気づくことができました。また、高校生のころにはなかった英語でのディスカッションなど経験し、英語への理解度や関わり方も変化したと思います。

部活と勉強の両立は大変でしたが、ボート部は優秀な成績を残しました。1年次で全日本選手権で優勝を達成。インカレでの上位入賞など、私の大学生活はボートなしでは語れません。日本一を全力で目指すチームで、自分が4年間活動できたことは自信にもなり自分の強みだと感じています。練習と寮生活において、どんなときでも同期・先輩後輩が支えてくれ、楽しませてくれるアットホームな環境は大切な場でした。同じ艇に乗る仲間たちとは、家族のような関係を築くことができました。就職は、社会人チームから声がかかったので、卒業後もボートと仕事の両立に精一杯がんばろうと思っています。

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