社会学部メディア社会学科4年の大曲雄介さんにインタビュー

メディア社会学科 大曲雄介

2023/05/13

在学生

OVERVIEW

社会学部メディア社会学科4年の大曲雄介さんに、立教大学での学びについて語っていただきました。

知的好奇心を満たし、自分の能力を活かすことにこだわった大学生活

理系から文系へ進路を変更

私は高校時代、国境なき医師団で活動する夢があり、理系で医学部を志望していました。しかし進路を決めなければならない時期になって、もうひとつの夢だった映画宣伝の仕事にも就きたいと考えるようになり悩みました。結果的には後者を選び、映画配給会社への就職を目的に、就職実績と学習内容の2つの軸から大学を選びました。すると、映画配給会社の過去採用実績校に、立教大学の名前を発見。合格した大学のうち、立教大学メディア社会学科を選択しました。

高校とは違う大学の授業の真髄に触れた「文化表象論」

メディア社会学科で、広告・宣伝機能としてのメディア(テレビやCM、SNS、ネット)の効力について学びたいと考えてはいましたが、具体的にどのようなことが学べるのか、最初は理解していませんでした。そのようななか、1年次で受けた「文化表象論」の授業は、衝撃的でした。とにかくレベルが高く難しかったので「これが大学の授業か!」と面食らったほどです。担当は、もと舞台俳優でフランス語も堪能な先生で、テーマは「ドラマ性とは何か」でした。高校生までの正解に向かって勉強するのではなく、とても抽象的で哲学的。正解「かもしれない」内容を自分で見つけ、道筋をつけていくというものです。

アイドルグループのドラマ性をとり上げた学生もいましたが、自分は映画「戦場のメリークリスマスのドラマ性」を4000字のレポートにまとめました。内容は、映画の中で直接的表現の描写はない、セクシャリティの部分について書きましたが、このような長いレポートを書くことは初めてでした。授業を通して、レポート・論文の書き方の大枠を理解することができ、この経験が2年次以降のレポート課題に活かされることになりました。またこの作業を通して、抽象的な議題に対しての思考方法の勉強になりましたし、抽象的な物事を自分の中でわかりやすく解釈するためには、自分自身の経験が大事であることがわかりました。

授業は互いにつながり合っていることを実感

2年次で受けた「メディア・テクノロジー・社会」では、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』という文献を読み、レポートをまとめました。ベンヤミンの大枠は「複製されたものよりも、リアルなもののほうがオーラを持つ」という理論です。そうであれば舞台のオーラとは?そもそもオーラとは何?舞台を複製した映画の価値は舞台より劣るのか?というように、問いを掘り下げていきました。この作業の中で、1年次で学んだ「文化表象論」との話が数多くリンクしていることに気づき、また「ポピュラーカルチャー論」で映画の成り立ちを学んでいたことも、この授業とつながりました。


多くの授業は互いにつながり合っており、この視点を持ってとり組むと、新たな発見や理解の深まりにつながることがわかった体験でした。以降の授業では「このことは、あの授業で触れられていたことにつながる。だとすれば、このような考え方もできるのではないか?」というような思考で授業を受けることが多くなり、レポート試験においても、ほかの授業での学びを活かすことができるようになりました。

学生映画祭に所属し宣伝を担当する

自分は映画宣伝の仕事を目指したので、そのために役立つような活動をしようと2年次のときに「東学祭」の名前で知られる学生映画祭「東京学生映画祭」のスタッフに応募しました。学生の製作した映像作品を全国から募集し、1年に1度映画祭を開催。グランプリを決定する活動です。私はそこで宣伝部に所属し、SNSを使った宣伝活動や、年に200本ほど集まる映像作品の審査などを行っていました。

そのころ、ちょうどコロナ禍だったこともあり、新座キャンパス現代心理学部の授業を、オンラインで受けることができました。これはよい機会だし、映画祭で審査を行ううえで役立つかもしれないと思い、映像身体学科「フィルムスタディーズの基礎」などの授業もとりました。「東学祭」での活動は学外でしたが、宣伝部での仕事はネット広告に興味を持つきっかけにもなり、それがのちに発展し、就職先につながっていくことになるとは、その当時は考えてもいませんでした。

授業内容の変更で出会ったビッグデータが転機に

私の大学での転機となったのは3年次で、きっかけは、当時新たに開設された大学院人工知能科学研究科と社会学部の合同授業「メディア社会特講1」です。それは、プログラミングを使ってビッグデータを分析する内容でした。自分にとってはこれが大きな事件でした。ビッグデータの分析がとてもおもしろく、自身の能力を活かせる領域を発見できたからです。

もともと理系だった私は、映画宣伝の道を選び文系に進みました。しかし本来文系の教科が得意なわけではありませんでした。入学当初から自分の能力を活かしきれていないという違和感をずっと持ったまま、3年次になっていたのです。そこで、この「メディア社会特講1」でビッグデータという数字を扱う授業に出会ったのです。やはり自分は、数字や物理、統計学やデータ分析が好きでした。1~2年次で感じていたモヤモヤしたものが晴れていきました。数学的な勉強は理系でしか活かせない、文系では活かせないと思い込んでいた自分がいたのです。そして、ビッグデータが宣伝、いわゆるマーケティングにもつながることをこの授業で初めて発見しました。そこで一気にモードが変わり、ビッグデータを使ったデータ分析に焦点を絞り、のめり込むことになったのです。

ソーシャルメディアを扱う木村ゼミで研究テーマを決める

その流れから、ゼミは「メディア・コミュニケーション研究/ネット世論・ネット社会研究」をテーマにする木村ゼミに所属しました。ここは主に、ソーシャルメディアを扱うゼミです。そして私はすでに「東学祭」での活動で、ネット広告に興味を持ち始めていました。ネット広告とはSNSから派生するデジタルマーケティングの領域です。世の中もちょうど、ネット広告がテレビの広告売り上げを抜いたタイミングでしたので、これからはデジタルマーケティングの時代との狙いもあり、木村ゼミなら自分の得意と興味をすべて活かせると思いました。

ゼミは、所属後すぐに卒論に向かっていく活動でした。自分の研究テーマを考えていたとき、動画配信サービス創業者の書籍を読み「人は1日24時間しか時間を持っていない。これからは企業がこの24時間をどのように奪い合うかの競争だ」の一文に「これだ!」とひらめきました。企業側のこうした考え方によって、ユーザーはあふれるメディア・コンテンツ・娯楽に翻弄され、思っている以上に時間に追われているのではないだろうか?という問いに行きつきました。実体験として、目の前にやるべきことがあるのについ動画を見てしまい離れられなくなるのはなぜだろうか?という感覚は自分も持っていたからです。

卒論はインターネットユーザーのデータ分析とインタビュー

そこでテーマを「時間に追われるインターネットユーザー~推薦技術がもたらす選択の回避によって~」に決めました。「時間を奪う」ことを支えているのが、ビックデータとそれを活用したパーソナライゼーションであると考えました。パーソナライゼーションとは、企業側がユーザーに合わせて商品やサービスを提案する手法で、この論文では、インターネットの利用や、パーソナライゼーションが人間の時間をコントロールする能力にどれほどの影響を及ぼしているのか、また、レコメンド=推薦技術のレベルによって、人が時間をコントロールする能力を奪われる度合いは変わるのか、について調査し論じようとするものです。

方法は200名に対してのネットアンケートと分析、知り合い5名に実施したインタビューです。インタビューの質問項目は1社の大手動画サイトをとり上げ50~60ほど用意し、レコメンドに対して、どれくらい利用しているかを深掘りして聞きました。分析は「社会調査法」で勉強した因子分析(多変量データに潜む共通因子を探り出す手法)などを使いました。

結果は大満足とはいえませんが、ある程度の示唆は出せたと思います。簡単に言うと、レコメンド(推薦)を利用する、しないというよりも、どのように利用しているかのほうが大切でした。その利用が能動的なのか、受動的なのかということです。能動的に目的を持ってレコメンドを利用している場合には、時間のコントロールはできており、受動的で目的なく利用している場合は、時間のコントロールはできていない。という結果です。つまり、10分くらい見るつもりがつい1時間を超えてしまう、というよくあるパターンです。その現象について、それが心理的にどう影響するのかも調べようと、インターネット依存尺度という尺度を使った分析も行いました。専門的になりますが、そのインターネット依存尺度の結果を、さらにコンロトール喪失因子という因子分析を行い、自分が調べたいことに近づけようと試みました。

難しかったのは、参考にしたかった、ログデータと呼ばれるものを使うことができなかったこと。そして、前提として1社の大手動画サイトに関してだけの調査だったことです。ほかの大手動画サイトや複数あるネット検索サービスなども合わせたトータルでそのユーザーがどれくらいのレコメンドを利用しているのかを知りたかったのですが、その膨大な量のデータを入手する方法がありませんでした。測定しきれなかった分は、インタビューの質的調査でアナログ的に補い、何とか結論にたどり着きました。

ビッグデータ・マーケティングの領域で社会を変えていきたい

社会学部を選ぶ人は「興味のあることを幅広く何でも学べる」という理由で入学する場合が多いと思います。それだけの授業がそろっているので、最初は何をやりたいのかわからなくても、見つけられる環境があると思います。私はその点ではレアケースでした。入学当初からやりたいことははっきりしており、3年次のとき、たまたまビッグデータと出会ってしまい、それがターニングポイントになりました。

よく「大学で学んだことは社会で活かすことができない」と言われますが、私はまったくそうは思いません。社会に存在する問題をどうとらえ勉強して、どのように社会を変えていくか。リベラルアーツをかかげる立教大学社会学部卒業生なら、学んだことを活かせないはずは絶対ないと思います。私はここに入学しなければ、今の自分はなかったと思います。

その意味でいうと、もっとも大きな収穫は「メディア社会特講1」の授業で、就職先でも役立つ大切なことを学びました。それは、ビックデータを社会に活かしていく方法は無限にあること。「AIが人の仕事を奪う」とよく言われますが、AIやビックデータは存在するだけ、単に分析するだけでは何ら意味はなく、社会をどう変えるか、社会を変えるためにビッグデータをどのように分析するかのほうが大切です。主導権は分析する人間側にあると思います。

大学での学びを通して、やりたいことと自分の能力を活かすことに妥協したくありませんでした。就活でも同じで「東学祭」でネット広告に興味は持ちましたが、その領域だけでは世の中は変えられないと思うようになりました。のちにビッグデータ・マーケティングの領域を知り、その広さに可能性を感じ、これを仕事にしたいと思うようになりました。

就活では、映画配給会社も受けましたが、デジタルマーケティング系の企業も受けました。さらにデジタルアナリストのような職種もイメージしながら就活を続け、最終的にはベンチャー系のITコンサルタント企業に内定が決まりました。そこではビックデータを活用し、クライアントのマーケティング戦略を考える仕事を行う予定です。アルバイトですでに会社に通っているのですが、映画関係のメディアと関係があったりして、卒業後はまたおもしろくなりそうで今から楽しみです。

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